午後11時45分。私は自部屋でうつらうつらとしていた。安っぽい電球が煌々と照らすなか電気を消さなきゃと思ったが、あまりの眠気に体が動かない。
ドンドン!コンコンコンコン!
突然の衝撃音で反射的に飛び起きた。部屋の時計は0時を過ぎている。うっかり眠ってしまっていたらしい。それよりもこんな時間に何事かと怒りが込み上げた。どうやらドアを叩いているらしい。それだけではなくガチャガチャと開けようともしている。私の住宅は集合住宅で、寝床は住人が行き来する廊下に面した窓にほど近い。外の廊下から声がする。
「〇〇さん! 〇〇さん!」。誰かがもう一度ドアを叩き、叫んだ。声は男性のもののようだ。続けて話す。「一人暮らしですかね?」「ご病気などは…」。聞き耳を立てられるほど、私は完全に覚醒状態となっていた。男性は話しぶりから警官で間違いない。そして2人いる。聞かれた人は「はい」や「いえ」と言葉少なく答えている。こちらは女性。反応のない隣人の娘さんだという。警官の1人がトランシーバーで応援を頼みつつ「最悪、ドアをこじ開けないといけない」とまで言う。緊張感が私にまで伝わってきた。手足が冷たい。
翌日朝から用事があり早く寝たかったが、そうもいかなそうだ。とはいえ何かできることもない。私は部屋の電気を消した。しばらくドアを叩く音と名前を呼ぶ声が続いていたのでイヤホンを装着する。悪いことを考えないようにYouTubeに逃げた。気もそぞろであった。パトカーの音が聞こえても呼びかけは終わらない。「隣の家に協力してもらって…」という声が大きく聞こえた気がした。ほどなくして我が家のインターホンが鳴った。
驚いたであろう母が応対すると『隣に住んでいる方の母親から通報があった。息子と連絡がつかない。外からの呼びかけに反応がなく、中の様子も分からないのでベランダを伝って侵入させてほしい』と警官は極めて落ち着いて話した。母はすぐには状況が飲み込めなかったようだが承諾した。私はYouTubeなど見ていられるわけもなく息を潜めるほかない。数分後、準備ができた消防隊員が家の中に入ってきた。母曰く「若く頼もしそうな人だった」。ベランダの窓が開く音。私は祈るしかできない。外の廊下からは女性が何かを呟いている声がする。ゴソゴソといろんなところから音がしたのち再び我が家のインターホンが鳴った。
「ご協力ありがとうございます。ぐっすり寝ておられました。ご無事です」。警官の少し明るい声色に安堵の気持ちが押し寄せた。「〇〇です、この度は父が大変ご迷惑をおかけしまして…」と娘さんも申し訳なさそうに話した。「なによりです、よかったですぅ」と母も得意のちょっと甲高い声で返答する。挨拶もそこそこに隊員も我が家から撤収した。時刻は1時を過ぎている。手足に血が通った感覚があった。ただ寝ついたのは2時過ぎで、変な夢も見た。
翌日、隣人の〇〇さんがお詫びにとお菓子をくれた。仕事でかなり疲れており熟睡していて呼びかけにまったく気づかなかったのだという。ばつが悪そうに頭をかきながら話す姿には、怒りの感情など微塵も湧かず、むしろ好印象であった。こうしてちょっとした騒動は幕を閉じた。仕事もほどほどにというところだろう。そう簡単に事件や事故は起こらないが、忘れられない記憶になったことは事実だ。
本日のBGM「何なんw」藤井風